私の音楽ヒストリー

~つれづれなるままに~

 

 


私の音楽ヒストリー③

 音大を目指すのか?

 


 

10.中1で再開

 

中1で、また以前の先生にお世話になることにし、「ツェルニー30番」と「バッハインヴェンション」でレッスンが再開しました。

相変わらず手は小さくて、オクターブが掴めませんでしたが、今度は「ソナタアルバム」も弾かせてもらえました。

 

息抜きに、先生には言わずに全音ピースの『花の歌』や『アルプスの夕映え』などを買って好き勝手に弾くことを覚えたのもこの頃です。

 

きれいな曲が沢山ある全音ピースに夢中になりました。

 

 

 

11.本が大好き

 

趣味は?と聞かれれば迷わず「ピアノと読書」と答える文学少女でもありました。

学校は部活動が自由参加だったので、何部にも所属しなかった私は、わりと時間にゆとりがありました。

 

中1の時に出会った『赤毛のアン』シリーズは、心底虜になった大好きな本です。

『アンの青春』『アンの愛情』『アンの友達』『アンの幸福』『アンの夢の家』『炉辺荘のアン』『アンをめぐる人々』『虹の谷のアン』『アンの娘リラ』。

 

アンは、私の心の中にいつも変わらずずっと生きていて生涯を共に過ごしています。

 

新潮文庫から出ている村岡花子訳のモンゴメリシリーズ16冊は、楽譜同様どこへ引っ越しても必ず持って行く私の宝物です。

 

 

 

 

12.新しい先生へ

 

中2の頃は、勉強は中だるみしたり、担任の先生に反抗したりしつつも、ピアノは休んだハンデを取り戻すべく頑張って練習していました。

 

中3になり、先生が、東京音楽大学附属高校のピアノ科講師の助手だったK先生を紹介してくださることになりました。

私は、まだ自分の進路をはっきりと決めた訳ではなかったのですが、乗りかかった船に乗るように、当時大井町(品川の一つ先)にあったK先生のお宅までレッスンに通うことを決めました。

K先生は大学を卒業したばかりの若い男の先生で、難しい曲をさらっと弾いて見せるのでビックリしました。

 

そうこうするうちに話がトントンと進み、成り行きで夏休みに池袋の東京音大まで夏期講習に通うことになりました。

 

 

 

 

13.初めての夏期講習

 

「コールユーブンゲンって何?」

「聴音ってどうやるの?」

「スタインウェイ?何のこと?」

 

こんな状態で参加した東京音楽大学付属高校の夏期講習は、自分の知らない事ばかりで戸惑いました。

音高受験生は中3にもなれば、コールユーブンゲンを歌い、聴音や楽典を学ぶソルフェージュのレッスンに通うのは当たり前という事実を知らなかった私は、完全に乗り遅れていたのです。

 

 

コールユーブンゲンの授業の時、席順に一人ずつ歌うことになりました。

音程にだけは一応自信があった私です。

 

♪ドーソドーソドー、レーラレーラレー、ミーミーミー、、、

 

調子よく歌い始めたのですが、途中で教室中からクスクス笑い声が漏れ、先生まで笑いたいのを堪えていらっしゃるようだったので、なぜ?とキョトンとしました。

隣に座っていた子が、「スィって言うんだよ」と教えてくれたので愕然としました。

 

 

 

 

14.晴天のへきれき

 

とにかく、音楽高校に行くならピアノ以外の勉強もしなくちゃ!と焦っているところに、なんとびっくり!父の転勤が決まりました。

会社の辞令が出て、父は茨城県の勝田市(現在のひたちなか市)の工場へ直ぐに単身赴任をし、後を追いかけて私たち家族も夏休み中にバタバタと水戸へ引っ越すことになったのです。

 

私は、人生最初で最後の転校をして、2学期から水戸市の中学校へ通いました。

セーラー服が着られたのは嬉しかったけれど、微妙な気分でした。だって中3の2学期から転校なんて、あまりにも中途半端でしょう?

教科書も、友達も、みんな変わってしまったのです。

 

 

そんなこんなで、毎月2回、常磐線の急行列車に乗って、はるばる東京までピアノとソルフェージュのレッスンをはしごするために通うことになりました。

 

 

 

 

15.レールから飛び降りる

 

私はK先生に師事した成り行きで、東京音楽大学附属高校を受験するレールに乗っていました。

それは有り難いことだし音楽方面に進むことに異論はなかったけれど、K先生の先生である助教授のレッスンにも行くことを勧められ、受験生の立場では断れませんでした。

その助教授のお宅へ初めて行く時、K先生から、手土産に洋酒を持って行くように言われて、母と水戸のデパートでウィスキー(ジョニーウォーカー  スウィング)を買ったのは強烈な思い出です。

レッスン代と、水戸から東京までの交通費がかさむのに、高級なお酒も、、、と親に申し訳ない気持ちでした。

 

 

東京の音高に入学したら、寮に入らなければならない。高校から親元を離れるのは寂しいな、、、

音高へ行ったら、大学も当然音大だから、7年間音楽漬けになる。ピアノを極めることになるだろうけれど、私は普通の教科の勉強もやりたいな、、、

何より地元の県立高校と東京の私立の音高では、学費が違い過ぎる。高校は普通科へ行き、大学から音大に行く方が自分には合っているのでは?

 

 

いろいろ考えた末、中3の冬休みに、私は東京音大附属高校の受験を止めることを決心しました。

レールから飛び降りたのです。

ドタキャンみたいな止め方で、先生方には申し訳なかったのですが、、、

 

そして、今度は大急ぎで5教科の受験勉強をし、滑り込みセーフで県立水戸第二高等学校に合格することができました。

 

 

 

 

 

私の音楽ヒストリー①

私の音楽ヒストリー②

私の音楽ヒストリー④